
極限まで眠らずに働いたことはありますか?
これは、私がかつて5日間眠らずに働き続けたときに体験した、現実が少しずつ壊れていくような記録です。
文字が揺れ、聞こえるはずのない音がし、そして未来を知っているような感覚に包まれる──。
脳が限界を超えたとき、人は何を見るのか。
自分の記憶として、そしてどこかで誰かの参考になるかもしれないと思い、この体験を残しておきます。
3日目──文字が揺れる
3日目の昼過ぎ、視界に異変が起き始めた。
ペットボトルに印刷された商品名、ビルの看板に書かれた文字。
それらがまるで水中にあるかのように、ゆらゆらと揺れて見えた。
目の疲れかと思ったが、瞬きをしても、目をこすっても、揺れは収まらない。
現実が少しずつ、現実でなくなっていく感覚。
「これはまずい」と心のどこかで思いながらも、キーボードを叩く手を止めることはできなかった。
4日目──聞こえないはずのラジオ
4日目。深夜のオフィス。
誰もいないはずの部屋の隅から、微かにラジオのような音が聞こえてきた。
雑談のような、人の声のような、何かの放送のような――
耳をすませば聞こえ、顔を上げれば消える。
「今、ラジオ鳴ってますか?」
そう同僚に尋ねたが、彼は不思議そうな顔で首を振るだけだった。
あの音は、どうやら自分にしか聞こえていなかったらしい。
5日目──未来を知っている感覚
5日目の朝、ふと感じた。
「これから電話が鳴るな」
「誰かが来るな」
そう思った直後、本当に電話が鳴り、誰かがドアをノックした。
偶然の一致かと思ったが、それは何度も起きた。
まるで未来の断片をすでに見たかのように、次に起こる出来事が“わかっている”感覚。
予知といえば大げさだが、既視感とも違う。
脳が疲弊しきった状態で、時間感覚や記憶の処理に異常が起きていたのか。
それとも、そのあと眠ったときに、記憶を整理する過程で前後関係がおかしくなったのかもしれない。
あのときの私は、まさにその境界線の中にいたのかもしれない。
限界の先にあったもの
6日目の朝、コピー機で最終原稿を出力している途中、私はその場で大の字になって倒れていた。
眠ったというより、意識が落ちたのだと思う。
そのまま動かずにいた私を、出勤してきた同僚が発見した。
ようやく睡眠をとったそのとき、目覚めた瞬間に涙が出た。
安心感なのか、恐怖だったのか、自分でもよくわからなかった。
あの5日間で、自分の中の何かが少し壊れた気がしている。
同時に、「人間の脳はここまで追い詰められると、何を見て、何を聞くのか」
その極限状態の記憶を、忘れずに残しておこうと思った。