私はなるべく「特注品」というものを使わないようにしています。
理由はシンプル。どこでも手に入るものを選んでおけば、いざというときに困らないからです。
代替がきく道具を選ぶ理由
例えば、パソコンのキーボード。
私は特別なキーボードは使いません。カスタマイズもしません。
最近ではペンタブレットも使いますが、レタッチなど必要なときに限って、なるべく最小限に抑えています。
というのも──
もしも別の場所で、別のPCで作業することになったとき、普段と違う環境だとパフォーマンスが落ちるようでは本末転倒だからです。
だからこそ、標準的な道具を選ぶ。代替がきく、誰でも使えるものを基準にしておくことで、どこでも同じように仕事ができる。
それは、ある意味「自由を保つための選択」でもあります。
ファッションも、食べ物も「こだわりすぎない」
服もそうです。私はユニクロばかり着ています。
なぜなら、どこでも買えるし、定番商品ならいつでも手に入る。
着ることに悩まず、思考のリソースを奪われない。これが私にはちょうどいい。
食べ物も同じです。高級な炊飯器なんて持っていません。
それがないと「ご飯がおいしく炊けない」と感じてしまうのは、ちょっと怖い。
「違いがわかる人」になりすぎない
『火垂るの墓』という映画のワンシーンに、ほとんど水だけのおかゆをすする場面があります。
それを思えば、たいていの食事はおいしいものです。
それでも「これはおいしくない」と感じるなら、舌が贅沢になりすぎている証拠かもしれません。
写真や絵の世界でも同じようなことがあります。こだわり抜いた人たち、いわゆるオタクと呼ばれる人たち。
彼らが語る「違い」は、もはや一般人にはわからないレベルの話。
「すごい!違いのわかる人だ!」と思われることもあるかもしれませんが──
それ、ほんとうに必要?
こだわること自体は素晴らしいことです。
でも、「違いがわかりすぎる」ことが生活を窮屈にするなら、それはもはや足かせです。
Less is More ──少ないほど、自由で豊かに
私が選びたいのは、「なくても困らない」自由さ。
特別じゃないものにこそ、本当の強さや安心感がある。
だからこそ、Less is More(少ないことは、より豊か)という考えが、今の自分にはちょうどいいのです。