毎日フォトストック

写真で積み重ねていくストックフォト副業の日々

ドラえもんで育った思考は、今も創造のベースにある

ここから始まった、僕の発想力。


うちの小学生の子どもが、毎週土曜日にドラえもんを観ている。

一緒に観てたら、あれ?最近のドラえもん、めっちゃ面白くなってる。

そういえば、自分がはじめて映画館で観た映画もドラえもんだった。
『日本誕生』。あれはほんとに印象に残ってる。

でも、藤子・F・不二雄さんが亡くなられたあたりから、なんとなく観なくなってた。
なぜかっていうと、「子ども向けアニメだからこれくらいでいいでしょ」っていう、
そんな空気感を感じたから。

子どもだから難しいことはわからないだろうし、
これくらいの内容で満足するでしょ、みたいな。
作り手のそんなスタンスが見えてしまった気がした。

もちろん、原作者不在で続けていくって相当なプレッシャーだろうし、
これまでの流れを壊さず守るって、それだけでも大変なことだとは思う。

作品を見るとき、作り手の温度を感じる

でも自分は、テレビでも映画でも、作り手側のことを考えてしまうタイプで。

その人がどんな気持ちで作ってるのかとか、
新しいことに挑戦してるのかとか、そういうのを感じながら観てしまう。

だからネタバレも全然気にならない。
むしろ先にあらすじを読んで、それでも観たいと思えるかどうかを考えることもある。
結末がわかってても、その中に込められてる熱量とか工夫を感じたいから。

あの頃のワクワク感が帰ってきた

そんな自分が、久しぶりに最近のドラえもんを観たら、
なんか昔の感じが戻ってきたな、って思った。

ただタメになるだけじゃなくて、子どもの好奇心をくすぐるような、
あの頃のワクワク感がちゃんとある。

本気で空想して、本気で描いていた

藤子・F・不二雄さんのドラえもんは、子ども向けだからって手を抜いてなかった。

「こんな道具があったら楽しいな」「こんな世界があったらいいな」って、
ちゃんと本気で空想して、本気で描かれていた。

それが、子どもだった自分にもちゃんと伝わってた。

ドラえもんは、今の自分の根っこにある

いま思えば、自分の思考や発想、
「こうだったら面白いな」って考えるクセは、ドラえもんから来てる気がする。

自由に発想するのが好きな自分の根っこには、
確実にドラえもんがある。

ドラえもん世代という小さなパラダイムシフト

もしかしたら、ドラえもんが“ある”のが当たり前の時代に育った世代と、
まだ世の中に登場してなかった時代に育った世代とでは、
考え方や物の見方が少し違うのかもしれない。

小さなパラダイムシフト。

そういうのって、流行りものすべてにあるのかもしれないけど、
子どもの頃に当たり前に観ていたものって、
やっぱり思っている以上に、考え方に影響を与えてる気がする。

いま創作してることや、物を見て感じる視点の中に、
あのドラえもんの空想が、ちゃんと残っている。

そんなことをふと思った、土曜日の夜でした。