みなさん、写真の面白さって何だと思いますか?
「写真機を通して、普段見られない世界を見ることができる」
私はこの一言に尽きると思います。
たとえば
- 他人の視点を覗くことができる
- 自分の視点を、人に見せることができる
- 遠く離れた場所の光景を、まるでそこにいるかのように感じられる
- 一瞬を止めたり、長い時間を1枚の写真に圧縮して見せたりできる
- マクロで小さな世界を覗いたり、暗い夜空を昼のように明るく撮ったりできる
そこには、少なからず驚きや感動がある
写真機が持つ、たった3つの表現機能
こうした表現のすべては、
実は写真機のたった3つの機能で成り立っています。
「どこまでピントを合わせるか」
「どの瞬間を止めるか」
「どこからどこまでを写すか」
たったそれだけの組み合わせで、
あらゆる写真表現ができてしまうんです。
写真の始まりは「フレーム」だった
もともと写真は、「世界を枠で切り取る」という行為から始まりました。
カメラ・オブスキュラの時代から、
世界を一枚の平面に写すには、フレーム(枠)が必要だった。
それが最初の“写真”です。
「何を写すか」「どこからどこまで写すか」
つまり、視点をどう定めるかが、写真表現の原点でした。
絞りとシャッターは、光を扱うために生まれた
当初は、レンズに固定された小さな穴(ピンホール)で光を取り込み、
ブレを防ぐためにシャッターを工夫し、
明るさを調整するために絞りが考案されました。
被写界深度や時間表現というものは、
光を取り込むための“副次的な結果”として生まれた表現手段だった。
写真とは、世界そのものの断面である
写真機には、絞り・シャッタースピード・フレームという3つの基本的な機能があります。
絞り(被写界深度)は、「どの距離までをくっきりと見るか」という空間の深さを決めるものです。これは空間軸で言えばZ軸にあたります。
シャッタースピードは、「どれくらいの時間を取り込むか」という時間の幅を扱うもので、時間軸、つまりT軸に相当します。
そしてフレーム(構図)は、「どこを切り取り、何を含み、何を除外するか」を決める、まさに視点そのもの。これは空間のXY軸に加えて、「どのように見るか」という選択の意志を含んでいます。
これら3つの要素は、写真表現における機能であると同時に、私たちがこの現実世界を“どう見るか”“どう理解するか”という認知の構造そのものでもあります。
つまり、写真とは「空間(3次元)」に「時間(1次元)」が加わった、4次元的な世界の切り取りだと言えます。
言い換えれば、世界の「どこを」「どれくらいの深さで」「いつの瞬間を」「どのように見るか」という選択を、光で封じ込めた“時空の断面”が写真なのです。
写真機というのは、そうした“捉えるという行為”を物理的に可能にする道具だと思います。
絞り、シャッタースピード、フレーム。
こうした写真の根本的な機能は、単なる技術ではなく、
この世界を写すために備わるべくして備わった、必然の機能だったのだなと思います。
言い換えれば、それは**「写す」という行為の真理そのもの**だったのかもしれません。
そしてその本質的な機能を使って、
どうやってこの世界を捉えるか、
どうやって世界を残すか、
そこに、写真の面白さがあるのかもしれません。