写真は自由に撮っていい。
でも、自由ってそんなに簡単じゃない。
白い紙に「何か描いて」と言われたとき、
小さな子どもは迷わずスラスラ描きはじめる。
でも大人になると、「何を描こう?」「どう描けば正解?」と手が止まる。
自由って、意外とむずかしい。
写真も同じ。
「こう撮るべき」といった“正しさ”の押しつけや、
周囲の空気に従うことの方が、よっぽど楽だったりする。
答えを教えてもらうのは簡単だ。
でも「自由にやっていいよ」と言われた瞬間、人は戸惑う。
自由って、思ったよりずっと厳しい。
もし“正解”がほしいなら、学校に行けばいい。
でも学校を出たからといって、プロとして通用する保証なんてない。
技術は学べても、
その先にある「芸術としての写真」「稼ぐための写真」には、
たった一つの答えなんて存在しない。
それでも、人は「これが答えです」と断言する人に安心を覚える。
でも私は、そう言い切れる人がいたら、どこかで警戒してしまう。
宗教の勧誘みたいだな、と。
写真に「答え」があると思いたい気持ちは、甘えなのかもしれない。
だから私は、誰も持っていない「自分の答え」を、自分で見つけていくしかないと思っている。